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ハイデガーの超-政治――ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い

, 轟 孝夫

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ハイデガーの超-政治――ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い mobiダウンロード - 内容紹介 20世紀最大の哲学者ハイデガーはなぜナチスに加担したのか? 「黒ノート」の「反ユダヤ主義的」覚書の真意とは? 後期の「存在の思索」に秘められた政治的メッセージとは? 『存在と時間』以後のハイデガー後期思想を徹底解明! 従来のハイデガー像をくつがえす「ハイデガー・ナチズム論」の決定版! ―――――――――――――――――― 本書を読まずにハイデガーは語れない! ―――――――――――――――――― 「存在の問い」そのものが、ハイデガーの政治的実践だった! ハイデガーの「存在への問い」は独自の共同体構想と、それに基づいた現実政治に対する批判を内包したものだった――その反ユダヤ主義的とも取りうる覚書によって衝撃を与えた最新資料「黒ノート」の詳細な検討も交えつつ、ハイデガーのナチスとの関わりを時系列的に丹念に描きだし、彼みずからが「超-政治」と呼んだ「存在の問い」の政治性を浮き彫りにする。 1930年代後半以降の「存在の思索」の一環としての技術論と近代国家批判にも論及し、現代社会の本質を剔抉する後期思想のアクチュアルな意義を平易な言葉でわかりやすく解説。 現代の混迷した政治状況に見通しを与えるべく、ハイデガー研究の第一人者が満を持して世に問う渾身の著! 【目次】 序論 第1章 学長期の立場 第1節 「黒ノート」における超政治 第2節 学長就任演説「ドイツ大学の自己主張」 第3節 学長期の労働論 第4節 学長としての実践とその挫折 第2章 ナチズムとの対決 第1節 ナチ・イデオロギー批判 第2節 「黒ノート」における「反ユダヤ主義的」覚書 第3章 技術と国家 第1節 技術と総動員 第2節 近代国家に対する批判 第4章 「戦後」の思索 第1節 ハイデガーの非ナチ化 第2節 悪についての省察 第3節 戦後の技術論 第4節 放下の思索 結論 あとがき 参考文献 年譜 内容(「BOOK」データベースより) 20世紀最大の哲学者ハイデガーはなぜナチスに加担したのか?「黒ノート」の「反ユダヤ主義的」覚書の真意とは?後期の「存在の思索」に秘められた政治的メッセージとは?『存在と時間』以後のハイデガー後期思想を徹底解明! 著者について 轟 孝夫(とどろき たかお) 1968年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。現在、防衛大学校人間文化学科教授。博士(文学)。専門はハイデガー哲学、現象学、近代日本哲学。著書に『存在と共同―ハイデガー哲学の構造と展開』(法政大学出版局)、『ハイデガー『存在と時間』入門』(講談社現代新書)などがある。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 轟/孝夫 1968年生まれ。東京大学経済学部、教養学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。現在、防衛大学校人文社会科学群人間文化学科教授。博士(文学)。専門はハイデガー哲学、現象学、近代日本哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
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本書は、存在の意味への問いの政治的含意を究明しようと試みる野心的な著作である。そして、著者の結論は、ニヒリズム批判がナチス批判に転化したと考える。①ハイデガーの存在論はナチスとの親近性を有するものであった。「共存在(ミットザイン)」は、社会的存在としての人間を意味するが、これがハイデガーにとっては、「民族」を意味する概念であった。なぜ、「人間社会」でもなければ「人間集団」でもなく、「民族」なのか?ドイツ民族の「命運」が説かれるのはなぜなのか?②ハイデガーの「共存在」は存在神学として提起された。民族の起源は「神話」として語られる。ハイデガーは神話の語りをヘルダーリンの詩に見出だした。その意味では著作『ヘルダーリンの詩作の解明』は重要な文献である。ハイデガーは牧師の家に生まれ、30歳を過ぎた頃、『宗教的生の現象学』(全集第60巻、日本語訳なし、英訳はあり)を著している。そして第二の主著と言われる『哲学への寄与』においては、「四方界」が論じられ、真存在が「神」として明言される。③真存在はドイツ民族の故郷として、古形のザインとして表記されている。存在の忘却は「故郷の喪失」を意味する。後にこの概念は、ハイデガーの近代技術批判として提起されるが、「ゲシュテル(総駆り立て体制、集立態)」は、人間を事物と同様に生産に総動員する近代技術が人間が技術に支配される生産体制によって、人間存在の拠り所を喪失する「故郷の喪失」を招くのであって、原子力時代における人間は「存在の牧人」でなければならないと説くのは、ナチス批判ではなく、ハイデガーによる近代技術批判である。「エアアイクニス(存在を呼び求める促し、性起)」は存在からの目配せ(ウィンク)として語られる。ナチス体制を公然と批判する言論の自由はなかったはずである。であるとすれば、近代技術批判により「存在の危機」を哲学的に論じる以外に、ハイデガーは語る言葉を持たなかったであろう。④となると、ハイデガーはナチス批判をしたのではなく、近代技術批判を展開したと考える方が適しているのではないだろうか?共存在としての「民族」概念とナチスとの親近性は否定すべくもない。フライブルク大学学長就任とナチス入党、それから一年足らずでのナチスからの離反は哲学とは切り離して考えるべき政治的文脈ではないだろうか?また学長としてハイデガーが学生団に対するキャンプを実践し、「学問奉仕」・「国防奉仕」・「国家(民族)奉仕」を求めた事実とその失敗は「全体奉仕=ナチへの奉仕」の無意味さにハイデガー自身が気づいたことになる。学問の府が大学であり、学生団のみならず、教授陣が猛反対したのは当然である。学長としてのハイデガーが試みたのは、ドイツ大学の「ナチ化」以外に何もない。『ドイツ大学の自己主張』ほどハイデガー哲学の「政治化」の失敗と愚行を意味する宣言に他ならない。⑤問われるべきは、なぜハイデガーが近代技術批判を展開したのかということである。「共存在」(民族)から「故郷の喪失」、「存在の牧人」への転回である。とはいえ、ハイデガーが『黒ノート』で述べている「反ユダヤ主義」からナチスとの親近性が指摘されるのは否定すべくもない。この思想はある意味ハイデガー哲学の致命的欠陥である。その点の哲学的解明は、今後の課題でもある。ニヒリズム批判がなぜ「民族」の命運として主張されたのか、まだまだ謎が残されている。本書は大いに参考になる。お勧めの一冊だ。
de 轟 孝夫
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